アムテック史料館
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  3. 神戸製鋼所時代

3) 神戸製鋼所時代
(大正10年~昭和4年)

大正 10(1921)年2月15日、姉妹工場の鳥羽造船所と共に株式会社神戸製鋼所に合併され株式会社神戸製鋼所造船部播磨造船工場となったが資本系統および幹部の陣容に変わりはなく当時の造船所役員は

取締役 社長 伊藤 乙次郎
取締役 造船部長 辻  湊
取締役 技師長兼播磨造船工場長 平田 保三
取締役 播磨造船副工場長 三上 英果

伊藤 乙次郎

大型タンカーの草分け(SNO.46)「橘丸」
大正 10(1921)年6月完成

この発足に伴い帝国汽船株式会社の造船部は自然解消することになり、設計部門は全員播磨造船工場に配属された。

合併後神戸製鋼所本社より移転した製罐工場は同年11月より操業を開始すると
共に工場は逐次整備拡張されその面目は一新された。

大正 10(1921)年当時の全景

一方大戦後の反動期であり営業不振は避けられず大型船建造を主としていた造船事業を小型船及び陸上諸工事に方向転換せざるを得なかった。

大正 12(1923)年9月の関東大震災は一時的な活況をもたらしたものの継続せず昭和 2(1927)年3月の金融恐慌を引き金に同年4月鈴木商店は倒産し、その影響を大きく受けるが、姉妹工場の鳥羽工場造船部門閉鎖及び播磨造船への併合等、経営陣の機宜を得た処置により事業は継続された。

神戸製鋼所時代の9年間は第一次世界大戦後の反動を受けた世界的に悪化した
経済環境の中で苦難の連続であったが、独立採算制のもと経営陣の裁量、従業員の涙ぐましい努力のもとに乗り切り、誠実と勤勉を旨とする社風が醸成された。

現在(2017年時点)相生市の一大イベントとなっているペーロン祭は
大正 11(1922)年5月社員の中の長崎県人会が故郷をしのんで漁船を使って
ペーロン競漕をボートレースと共に海上運動会として行ったのが始まりである。

翌年には長崎にてペーロン艇を見取り、社内の木工場にて3隻のペーロン艇
(天龍・白龍・神龍)を建造し本格的にペーロン競漕が行われるようになり終戦までは毎年5月27日の海軍記念日に行われた。

時代の変遷と共に昭和 38(1963)年から「相生ペーロン祭」の海上行事として5月最終日曜日に相生湾で開催され、現在(2017年時点)では長崎をはじめ県外からの参加や女性チームも含め総勢60チームを超える参加となり西播磨に初夏の訪れをつげる相生市の一大イベントとなっている。

現在(2017年時点)のペーロン競漕

ペーロン艇は木造和船で2代目の「雲龍」は相生駅新幹線コンコースに展示されている。平成 27(2015)年には10代目4隻(天龍、白龍、神龍、昇龍)が建造され、現在(2017年時点)のペーロン祭では8代目~10代目の合計12隻が使用されている。

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