4) 独立初期時代
(昭和4年11月~昭和12年)
鈴木商店の破綻以来、緊縮財政を続けてきた神戸製鋼所は、当社が事業の性質を異にし、規模が大きい為、製鋼所の一部門として経営を続けるのは不適当であるとの見地からこれを切り離すことに決定、昭和 4(1929)年11月分離独立を断行した。
独立当時の株式会社播磨造船所の全景
11月27日神戸製鋼所本社で開かれた、株式会社播磨造船所の設立総会にて下記の通り役員が選任された。
取締役社長 | 松尾忠二郎 |
---|---|
常務取締役 | 三上 英果 |
常務取締役 | 横尾 龍 |
資本金は500万円とし、神戸製鋼所が従来の投資1200万円の内500万円を出資して全株式を収め、700万円を貸付金として計上した。
ここに新しい株式会社播磨造船所が誕生し、神戸製鋼所より一切の業務を継承して新発足した。
当時の従業員は職員187名、工員1920名、合計2107名であった。
昭和 5(1930)年金輸出解禁が断行されたが、前年(1929)年11月のニューヨーク株式市場の大暴落に端を発する世界恐慌により不況は世界的なものとなり海運造船界は極めて苦しい状況となった。
昭和 6(1931)年9月満州事変が勃発し、翌7(1932)年上海事変へと拡大するに及んで国際関係は悪化の一途をたどり、海上運賃は惨落し新造船の発注はほとんどない状態となった。
昭和 7(1932)年10月「船舶改善助成施設」が実施され老齢船を解撤して優秀船を新造することに対し助成金が交付された。この施策は日本の独創であって予期以上の好成績を収めその後イギリスをはじめとした欧米諸国においても数か国がこれにならった。
昭和 9(1934)年に入り一般軍需産業が盛んとなるに及んで、造船界にも漸く復興の機運が到来し当社の受注高も著しく増加するに至った。
- 貨物船小牧丸(SNO.189)
昭和 8(1933)年11月完成 - 極東~ニューヨーク航路に就航の優秀船で史料館に保存している
- 最古の完成絵葉書
- 同型船に香椎丸(SNO.215 昭和 11(1936)年4月完成)
- 香久丸(SNO.216 同年6月完成)を建造
国際情勢の緊迫化と共に国防強化が強調され敷設艦、砲艦等の軍部よりの注文増加も相まって飛躍的に工事量は増加しクレーン能力増強等の設備改善拡充を行い昭和 10(1935)年下期より株主配当も復活した。
昭和 11(1936)年の2.26事件以後、準戦時体制に立たざるを得なくなり、軍需産業は一層興隆し、殊に政府が「優秀船舶建造助成施設」を昭和 12(1937)年
4月1日に公布施行し同時に船舶金融施設による利子補給制度を相まって海運造船界は繁忙を極め業績は大きく向上した。